スケジュール | ロバハウス | アクセス | ロバの学校 | 楽器館 | 古楽市場 | 投稿欄 | コンタクト | English Page

カテリーナ古楽合奏団 感想・評など

 ●吉村恒氏(音楽学者)の評より
邦画が描く山村にマッチ 中世西洋音楽の妙 なつかしさを感じる素朴なメロディ
2、3年前、グレゴリアン・チャント(グレゴリオ聖歌)がキリスト教国と日本で大ヒットし、話題になった。そのせいもあるのだろう、ヨーロッパの古い音楽、それもバロックより前の中世・ルネサンスの音楽が、いわゆる先進国で多くの人々に聴かれるようになっている。ほとんどは輸入盤としてだがCDの数も増え、大きなレコード店には専門のコーナーが設けられているし、音楽雑誌でもよく取りあげられている。

そしてこの夏、また中世の音楽がちょっとした話題になりそうだ。東京で公開中の東陽一監督の映画「絵の中のぼくの村」の全編に、使われているからだ。戦後まもない高知の村での、双子の絵本作家の少年時代を、ユーモアをこめてファンタスティックに描き、ベルリン映画祭で銀熊賞に輝いたこの映画で、監督が選んだ音楽は、日本のカテリーナ古楽合奏団のCD「ドゥクチア」(クルムホルン)なのだ。ちょっと意外な組みあわせと思われるだろう。ところが、昭和23年ごろの日本の山あいの村と、西欧の12〜16世紀の音楽が、じつによくマッチしているのだ。これには、演奏家はもちろん、ヨーロッパの映画批評家も、びっくりしていたそうだ。でも、どうして中世の音楽が選ばれたのだろう?
東監督は、映画と同じく、明快に説明してくれた。「シナリオを書いているときから、中世の音楽を使いたいと思いこみまして。ひと月くらい、ほとんど東京中のレコード屋をまわってCDを買い集めたんですが、なかなかこれだというのがなくてね。いろいろ聴いた中で、いちばん気に入ったのがカテリーナ古楽合奏団のCDだったんです」

映画音楽をどうするかは、なかなか難しいことらしい。「今回は、いわば消去法で中世の音楽になったんです。現代の作曲家が映画向けに書いた音楽は、できあがってきてびっくりすることがけっこうあるんですよ。これはちょっと違うといっても、時すでに遅しでね。かといって、ヨーロッパのクラシック、バッハ以降ストラヴィンスキーくらいまでの音楽じゃねぇ。日本のポップスなんてもちろん合わないし、童謡でもないし」「それにね、日本の子どもが出てくる映画の音楽には、決まったパターンがあるんです。必ずオカリナが出てきて、もの悲しげなメロディを吹くという(笑)。そういう湿った情緒には、絶対もっていきたくなかったし、音楽自体が楽しさをもってなければいけないと思ってね。これが当たるか当たらないかで、映画全体の情緒的な面が決まると思って、ほとんど目の色を変えてさがしたんですよ。だから、これが見つかってほっとしました」

長調と短調というシステムができあがるはるか以前のヨーロッパの音楽は、ピアノの白鍵だけでだいたい弾けてしまうような、素朴なメロディで書かれていて、どこかなつかしい響きもする。舞曲や抒情歌はほとんどが単旋律で、どんな楽器をどう組み合わせるかは、演奏家に任されている。即興の要素も大きい。ちなみに、15〜16世紀はふつうルネサンスといわれる時代だが、映画で使われているような舞曲は、中世の性格を色濃く残している音楽だ。

また、中世の楽器のもつざらざらした音の感触は、音量と能率を追及して「改良」された現代の楽器の、ツルツルでピカピカした音にはない、表現力やノイズ的な魅力がある。楽器の形からして、木のぬくもりとユニークなデザインが新鮮だし、奇想天外なメカニズムのものもあると、必要以上におごそかになってしまったクラシック音楽の世界にくらべて、とにかくおもしろいのだ。

映画の舞台は戦後3年目のころ。教室には「自由」だの「平等」だのと書いた習字がはってある。ぴかぴかだった民主主義のからっとしたさわやかさが、カテリーナ古楽合奏団のストレートであざやかな演奏ととても相性がいい。双子がしでかすいたずらには、チャルメラのような音の管楽器の合奏が絶妙なBGMになっている。半世紀もむかしの日本の村は、今からすればエキゾティックでさえある。山道を進む葬列は、アジアの異国の儀式を見るようだ。映画には、戦前の家制度をひきずった人間関係とか、性の目覚め、貧しさ、差別といった問題も、さりげなく、しかししっかりと描かれている。そういういろんなしがらみさえも、古楽器の音はやさしく、なつかしく、にぎやかに彩っている。

意表を突かれたのは、狂言まわしかコロス(古代ギリシア演劇の合唱隊)のように、要所で登場して物語を説明する謎めいた三人の老婆のシーン。そのたびに「山んばトリオのテーマ」といった不気味な雰囲気で流れていたのは、14世紀フランス最大の詩人兼作曲家、ギョーム・ド・マショーの書いた宮廷ふうの恋歌だったのだ。本来のテーマとはまったく違うのに、ユニークな編曲のせいもあって、じつに見事に映像を引き立てていた。     1996年7月19日読売新聞より

●江波戸 昭氏(民俗音楽学者)の評より 
今一番新しい音楽である
「カテリーナ古楽合奏団」が手にする諸楽器は死に絶えた古楽器ではない。伝統楽器として、洋の東西に生きつづけ、展開しつづけている人間味あふれた楽器なのである。したがってその音色は、特定の地域としてのヨーロッパのものでもなく、日本のものでもない。近代化の過程で歪められた音の氾濫する現代社会にあって、本来の人間性豊かな音を甦らせてくれる音、日本はもちろん世界中が、いま必要としている音楽だといえよう。彼らが演奏する楽曲は、その名に反して "古楽" ではない。楽器と同様、古楽のあり方に素材を求めての現代の音作りである。彼らの目指す "素朴で人間味あふれる" そして "今一番新しい" 音楽である。 CD「ドクチア」ライナーノートより

●皆川達夫氏(音楽学者)の評より
ヨーロッパの古楽はもはや異国の古楽ではなく、現代日本の生きた音楽になりきっている 
今回刊行されたCDでは「ドゥクチア」というタイトルのように、中世舞曲を中心に世俗歌曲やらルネサンス舞曲などを、ほぼ30種に及ぶ楽器によって多彩に、にぎにぎしく演奏している。音色感あざやかで、まことに心楽しい演奏である。リズムよく、楽器の組み合わせ好ましく、愉悦感あり、文句なく古楽の喜びを感じさせてくれる。彼らの演奏はあくまでも骨太で、力づよい。時にはやや粗いとさえ感じさせるほどに、筋金の入った強靱な力でグイグイ迫ってくるのである。 (中略)この楽しいCDを 聴いていると、ヨーロッパの古楽はもはや異国の古楽ではなく、現代日本の生きた音楽になりきっている。二十年近くもこの種の音楽を演奏し、自分達の身体の一部になりきっている彼らだからこそ実現できた、素晴らしい成果である。 レコード芸術93年11月号「ドゥクチア」の評論文より

●服部幸三氏(音楽学者)の評より
原曲を幾倍も楽しいものにしている
例えば、第7曲の「輝く星よ」(イタリア14世紀)で鳴りっぱなしのドローンをシンフォニアでいれて、器用な合いの手はペルシャのサントゥールでといった心憎いコスミックな演奏を誰が悪意で受け取るだろうか。第4曲の「ショーム吹きの踊り」(16世紀、スザート)などもおもしろい例だ。演奏にはプサルテリウム、バス・ヴィオール、ショーム、クルムホルン、リコーダーが参加するが、思いつきの良い前奏と即興的対位法が、原曲を幾倍も楽しいものにしている。第5曲の「トリスターナ」は普通よりも遅く、第6曲の「フォンタナ」は極端に速い。だが速くても、遅くても、それなりにスマートで上手、雰囲気がある。 レコード芸術93年11月号「ドゥクチア」の評論文より